「稲荷神社は見返りを求めるので参拝NO」
「願いが叶ったら手土産持って挨拶に行かないとたたられる」
というとある発言にどうしても納得がいかず
一ヶ月以上かかって調べてみました(しつこい(笑))
江戸時代に地元に勧請して先祖代々祀っています。
・・・もしかしたら
「なんちゃって稲荷」かもしれない疑惑もありますケドw
「稲荷神社」は「見返りを求める」「たたる」のであれば、
江戸時代から先祖代々祀っているうちの一族は
オモックソ見返り求められて、
時にはたたられているかもしれない一族ということです。
あれ?そうなの?
そうね・・・そんな人も中にはいるかもね・・・(苦笑)
まあ、確かに腹黒いし、
性格悪いしどろどろしているけれども(笑)
で、調べました。自分が納得いくまで。
結論としては、
「たたられる、見返りを求められるような現象もあるが、それは人間側の問題」
というしごくまっとうなところ。
そして「見返り・たたり」とは
「今この瞬間に生きてい居る人間が自分で引き起こしている、引き寄せている、『天(大いなる何か)の意図から外れているという』事実の、気付きをうながすための出来事の一つに過ぎない」ということです。
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「お稲荷さん」と一言で言っても実は3種類あります。
豊川稲荷のラインはインドからの仏教系
そして、その他系です。
まずは伏見稲荷大社さんから考えて見ましょう。
稲荷でも「正一位」を冠しているのは、「京都の伏見稲荷大社」系列。
千本鳥居で有名なアソコを本所としています。
*「伏見稲荷」は朝鮮から渡来した秦氏の氏神であって祖神ではないというのが説もあったり、
この秦氏が祀ったのは瀬織津姫だろう、うんぬんかんぬん、日本の歴史ロマンに発展しそうな勢いなのでここらはあまり深く追求しません。秦氏の「神」と「山の神」の融合ってことで丸く治めとけよ・・という推測の理由は先を読むべし(続きはWebで、的な)(笑)
はい、実は「稲荷山」自体はこの「伏見稲荷」が祀られるもっとずっと前からの霊山という説があります。
古くからの「稲荷信仰」。(古くから・・一万五千年レベルでの昔・・縄文時代あたりからでしょう)
古来の稲荷信仰は「稲荷」ではなく「漢字」にすると「稲生る」であり純粋に五穀豊穣を祈るものだったようですね。
「春に山の神が里に降りて来て田の神となり秋の収穫が終わるとまた山に帰る」といわれた古来の信仰。
ここでの「田の神」の化身だとか神の御使いという扱いが「狐」だったようです。
あの「尻尾」がたわわに実る稲穂に似ているからだとか、稲を荒らすねずみを食べるからだとか諸説あります。
その後の伏見稲荷神社では「狐」は眷属、御柱とのお取次ぎ役の霊性の高い狐=白狐として位置づけられています。
(狐のことはいったん横においておきますが、後々出てくるので忘れないようにね。)
さて、神社といえば誰かが祀られているわけです
こちらは「宇迦之御霊神」(うかのみたまのかみ)と呼ばれる
五穀豊穣を司る女の神様が主柱
この5柱を総称して「稲荷大神」と呼び、霊山とされます。
御柱の「宇迦之御霊神」(うかのみたまのかみ)は
スサノオ命の末娘。
クシナダヒメの次の奥さん、カムオオイチヒメの子供というのが一説。
他に日本書記では「イザナギ」と「イザナミ」の気力が無いときに産まれた子、ともいわれ、
伊勢神宮の外宮の主宰神「豊受大神(とようけのおおかみ)」と同じ方のようですね。
どちらにせよ、日本の神格の中では相当古く、格式も高い、豊穣の女神様なわけです。
たたりますかねーー?チンケな人間なんぞの見返りを要求しますか?
そんなわけなかろうよ。
納得いかないなあ。
ということで、お次は豊川稲荷系について