理屈でスピリチュアル

開運えみこ・スピリチュアルと毒親を理屈で語ります

なぜか不思議と上手く行く、運を人生の味方につけるFBグループ https://www.facebook.com/groups/1872391646508515

死ぬ瞬間に 「いろいろあった人生だけど、ま、楽しかった」と思えれば良しとしよう。うん、そうだ、そうしよう。

水星とか、木星とか、いろいろ逆行しているこの時期。

「もう自分の中では終わったこととしている古傷に向かい合う時期」

みたいですね。

 

なるほど・・・。

終わったことにしてるだけで、

実はちっとも終わって無いってことが出てくるってことだよな(苦笑)

さすがだ

宇宙の流れ的にはとても沿っているみたいな

ブラボーーな副業占い師MARUです。

 

しつこいくらいに書きますが

MARUは被虐待児なので「母親」との関係に葛藤を抱え続けています。

もう解消したつもりになってたんだけど、「コレ」。

「母親との関係」に気持ちの折り合いつけたつもりになってる「コレ」

 

 

 

ちょっと話は飛びますが

人間の記憶は筋肉にも残ります。

カウンセリングのクライアントさんで身体もしんどい方は

マッサージ、鍼灸、カイロプラクティクスなどもオススメしています。

心からのアプローチだけよりも俄然早いし。

 

 

残るだけでなく

「自分でない記憶もDNA細胞(肉)が覚えている」ことすらある。

http://e7smilemi.hatenablog.com/entry/2017/02/16/014105

筋反射テスト(筋肉反射)がなにゆえに当たるのかということについて

しつこく書かれていますので是非ご覧ください。

 

 

 

 

ところがどっこい、人には勧めるくせに

MARUは人に身体を触られるのが大嫌いでして・・

知らない人に髪の毛触られる美容院とかイヤだし

マッサージとかとうてい無理。

(これ、被虐待児の顕著な例なんですけど)

 

そんなわけで、

昨日ついに身体があちこち痛くなりバキバキ言い出し・・・

この人しかマッサージされないもんっという人に

泣きついてきました(笑)

 

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 あ・・・違った、コレうちのネコ(ミルキーちゃん)じゃん(笑)

 

こっち、こっち、この人ね(笑)

 

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ってかさ、顔が小さくて、手足が細くて長くて、

瞳が澄んでてきゅるるんってしてて、

ミルキー見てるとこの人に似てるよなあって毎日思う(笑)

 

ホリスティックセラピー パチュリ 原田尚子さん

http://www.aroma-patchouli.com/

 

 

去年の首が回らないほどの四十肩もこの人のところにいきました。

昨日も「にっちもさっちも行かなくなって」

泣きながらこの人のところにマッサージを受けにいきました。

 

施術中はもちろん爆睡です。

そして、ストレスで止まっていた「セーリ」が今日キマシタ。

 

なんというゴッドハンド。

尚ちゃん いつもありがとう(^^)

 

 

「身体」と言うのは時に

言葉にすらならない自分の奥底にあるものに

意識よりも先に気付いて悲鳴を上げることもあります。

 

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「病気」がわかりやすい例ですね。

肉体の病とは、簡単な話、身体を酷使しすぎて、

思考や感情との調和が乱れることによって引き起こされるとされています。

 

病気は自分自身の波長が原因。

だいたいが「ネガティブな思い込み」や「こだわり」であることが多いのです。

 

MARU的には、三次元のお医者様にかかったり

マッサージなど受けるのと同時に心のケアもしていくのがオススメ。

 

身体に聞くという「ボディフォーカシング」なる手法が手軽でいいですね。

しかーし

今日書きたいのは「ボディフォーカシング」では無くですね

MARUの「思い込みの核」は何だったのかという

超暴露話を書きたいだけでね

フォーカシングについては、

そのうち気が向いたら書くんじゃないかな?たぶん。

 

 

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ところで・・・ 

「ストレス」って言葉は万能なので

とりあえず、全部ストレスのせいにしておけばたいがい話が終わります。

 

実は全然終わっていないところが

超クセモノの喰えない言葉です(笑)

 

ストレス、と片付けることは簡単だけど

目の前に起こる出来事が全てが自分の内側の投影だとしたら?

 

 

何が原因でそれが起きているのか

何を解消するために、

何を気付かせるために起きているのか

 

この先の自分の人生をもっと最善にするために起きるのが

「一見、ネガティブに見える出来事」であり、

そのために解消しておくのがモアベターなのが「思い込みの核」です。

 

それを見つけ出して、解消なり統合なりして

自分の人生を生きやすくする為に対応策を練るのが、

一応、わたしの仕事の一つカウンセラーという職業です。

 

でもさ、カウンセラーっつう職業があるくらいなんだから

これ「見つけるの」本当に一人では難しいのよ。

 

 

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今回はタロットの師匠

スピリチュアルエロスコーチ珠帆美汐さんの手を借りながら、

ザクザク内観していきました。

 

 

「愛してくれなかった」と思い込んでいる母親が退院してきて

大丈夫大丈夫と思い続けた一週間でこの体調不良。

 

という事で、

「まずは、「核」となる「思い込み」を探さないといけないのですが

「ようするに、しんどいのが好き」とか

「母親には何をしても愛されない」とか

「一生懸命やるから愛して欲しい」とか

そういった、ネガティブな思い込みがほろほろと出てきます。

 

ネガティブな思い込みとはようするに

「自分を縛り付けている必要の無いルール」です。

 

そう、

「大人の自分」には「もう必要の無いルール」

いつまでも囚われているということですね。

 

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あらまあ、なんと言うことでしょう(苦笑)

結局、

「愛されなかった」という

「思い込み」は解消されていなかったという・・・

 

愛されない≒愛されたいvs愛されていい

 

愛されるためには自分を犠牲にしなければならない

vs自分の好きにしながらも愛されて良い

 

役に立たなければ愛される価値が無い

vs役に立たなくても愛される自分で良い

 

 

何も出来ないちっぽけなありのままの存在では

愛してもらえなかったのでという過去の思い込み。

今、まさに「母親に愛してもらうために」役に立たねばならない

 

自分の身を犠牲にして、

自分の時間を犠牲にして、

自分の人生差し出して家のために尽くせば

今度こそ家を捨てた兄ではなくわたしを愛してくれるはずなのだ。

 

母親に愛されなかったという思い込みを持つわたしは

何かの、誰かの役に立たねば生きる価値が無いのだ

 

家を再興しなければならないのだ

わたしがここに居ていい理由が無いのだ。

 

と言う、

「恐怖」。

見捨てられ不安。

 

もう、いいじゃないの、そんなの。

こんなわたしでも、気遣ってくれる人が居る。

寄り添ってくれる子どもたちが居る。

その事実があればいいじゃない。

 

誰の役に立たないわたしでも人に愛されて良い。

家を、親を捨てても良い。

そんなわたしであっても、

それで生きていく価値のある人間なのだ

わたしはわたしらしくあっていいのだ。

自由に人生を選んで良いのだ。

 

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画像に深い意味はありません。

始まったね・・・進撃の巨人・・・第二部

 

 

「いやな事」「理不尽だと思った事」は母親に伝えても良い。

 

大人になった「わたし」は、誰の目も気にせずに

「わたし」を生きて良い。

 

相手に自分の気持ちをわかってもらおうというのは無理な事で、

「他人」である母親と

「何も無かったように」心の通じ合う関係になるのも無理な事。

 

MARUは世の中には「いまさらどうしようも無い事」があると思っています。

過去に起こした出来事

相手にわかって、変わって欲しいと願うこと

 

これこそもう、

「あきらめる」しかない(笑)

 

「あきらめる」≒「受け入れる」≒「そうであると覚悟する」

 

珠帆さんいわく

「愛して欲しくてがんばった小さな自分をいっぱい抱きしめてヨシヨシしてあげてね。」

 

母親も被虐待児なので他の表現方法を知りません。

つまり、彼女の中では「正しい子育て」をしたのです。

 

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 しつこいようですが・画像に深い意味はありません(笑)

 

 

まったく相容れない価値観。

 

そうなると幼い子供だった自分の

つらく悲しい気持ちをわかってあげられるのは

自分しかいないのです。

 

人間は心の傷が癒えたら、

自然と 「もう、いいか」 と許せる気持ちになります。

 

それが体調不良という形で出て来るのであれば、

まだ傷が治っていない、まだ許せるところまできていない、ということ。

 

これは親だけに限らず、

兄弟だったり、

配偶者だったり、

昔のイジメだったり、

あらゆることに当てはまります。

 

まだ許せなくても仕方ない、

もうちょっと待とう、

もっと自分に優しくていい。

 

虐待があったのは過去の遺物で

現在もその過去に苦しめられる必要はないということなのですが

 

生きている間に「親を許さなければいけない」

「関係を改善しなければならない」という

職業柄の思い込みも捨てきれないものなのです

自分に厳しすぎだな

コノヤロー(苦笑)

 

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再度言っておきますが、深い意味は・・・(笑)

 

もうね、

自分が死ぬまでに許せれば立派だな。

 

死ぬ瞬間に

「いろいろあった人生だけど、ま、楽しかった」 

と思えれば良しとしよう。

うん、そうだ、そうしよう。

 

まだ許せない時期なのだ、と思ったら、

日々の生活を楽しむことに注力するのもありだろう、

と思います。

(というかクライアントさんには言ってる気がする)

 

だけど「亡き者」にしたらいけません

 

陰陽で言えば自分の内側部分は「陰」の部分。

 

他者との関係・自分の外側・陽の部分は

自分の「内側・陰」の部分を

反映していることを

自覚する必要はだれもがあると思います。

 

「人間としての自分」と「スピリチュアルな自分」

「自分の男性性」と「自分の女性性」

「陽の自分」も「陰の自分」も認める事で

三次元の肉体の中に一つに統合していく。

 

それが、「どこに居ても、自分らしく生きること」に

繋がっていくのだと個人的には思います。

 

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あともうちょっとでスッキリしそうなのに、、、、

そんな方は6月19日(月曜)の珠帆美汐さんhttp://sprtcoach.com/

のスピリチャル個人セッション、表参道へ是非お越しくださいませ

やっぱり、一人でやるのは無理があるね。

イベントのご案内はまた作りますね。